う。僕の戯曲には多分にそういう要素が含まれていた。ある人に言 われたことがある。「蓬莱くんの戯曲は誰がやっても上手く見える ようになっている」これは褒め言葉ではない。むしろ逆である。つ まり僕の作品は役者より主権は戯曲にある、と言われたわけである。 戯曲は大事である。それはとてつもなく大事だと思う。しかし、い い戯曲とは結局は役者を解放させるものなのではないか。最後に主 権がハッキリと役者の肉体に宿っているようなものではないか。そ ういう意味で役者が大事な芝居。間近で役者を見せていく芝居。暗 転や構成ではなく、役者が1時間半自力で世界を構築しなければな らない芝居。それが番外公演の趣旨だった。 とか真面目に語っているが、この「由希」という作品、30歳にな ろうという男達が未だに暴走族をやっているというアホみたいな話 である。辞めたくても辞められない。何故なら総長である最年長の 男に一向に辞める気配がないから気を使って辞められない。アパー トの一室で起こる幹部会の模様を描いた作品なのだ。1幕もので一 気に書いた記憶がある。構成や伏線などは最小限にとどめ、ただ五 人の役者がくだらない話をしている物語。若さや荒が目立つ芝居だ とは思うが、男だけの現場、気兼ねなく、くだらないことも承知で 楽しんだ舞台だった。今の僕は少人数の舞台を創るほうが好きであ る。その後外部で二人芝居や三人芝居の暗転なしの作品を何本か書 いている。「由希」がルーツと言えよう。やはり役にかけられる時 間が多いのがいい。その役の色んな矛盾を描ける。多角的に描ける。 執筆中、登場人物が勝手に動き出してもよい。そのまま綴っていく。
第十三話「由希」と「M」蓬莱竜太