と、優越感をもう少しだけ享受するべく悩んでいるフリ。
結局「五十嵐伝」には客演として参加してもらい、公演後に判断し
ようということになった。そして結果、小椋さんはこの公演後に入
団することになる。何より小椋さん自身が楽しそうだった。久しぶ
りの演劇。しかもやりたい現場に自分が出られる喜びに溢れていた。
僕にしても嬉しいものである。誰かの充実の役に立っているとした
ならこんなに意味のあることはない。また、そういう人間と一緒に
船に乗るのは僕としても楽しいものだ。
最近、劇団以外の役者と話したり、目にしたりすると、大変なんだ
なぁとしみじみ思う。現場がない。コンスタントにバッターボック
スに立てる場所がない。役者は板の上に立ってこそ役者である。か
と言って客演や劇団入団に声をかけられないわけではないが、どの
劇団でもいいから所属したいというわけではない。きっと当時の小
椋さんもそうだったに違いない。現場がコンスタントにある役者は
珍しい。しかもそこが好きな表現だと思える場所に所属出来る人は
更に運がいい。ほぼいないことがわかる。また、所属していればい
い役者、現場がないのがよくない役者とは全くもって限らない。だ
から不思議だ。なんというか、巡り合わせの問題だったりする。以
前は好きな場所に所属していたが、突然解散して根なし草になった
人も多い。自分たちで立ち上げようにも作家がいない。じゃあどう
しろって言うのさ、という役者で溢れかえっている。役者達は悩み、
苦しみ、彷徨うのだ。役者より作家の数が圧倒的に少ないのが原因
の一つだろう。作・演出として僕は何か非常にもったいない気持ち
第十四話 五十嵐伝から十年か